恐るべし! 臼杵の文化と町おこし(食文化交流の街としてユネスコ認定)
3月27日、28日で臼杵に旅をした。
臼杵でフランス人のご主人と日本人の奥様が経営するゲストハウスのUsuki_Art_Houseのご夫婦がリヒトにガレットを召し上がりにリピートしてくれて、先月はフランスから来日したご主人の両親まで連れて来て頂いて、、
そのお返しでゲストハウスに泊まりに行った次第。
日田から臼杵は決して近くはない。
120km、高速を使って1時間半。
大分市の南の方の漁港のあるのんびりした街で時間を過ごそうぐらいの気持ちで訪れ、到着して石垣が立派な臼杵城址の公園を訪ねて、その後に下町も歩いてみたらとてもよく整備されていて素敵な街だった。
たが、夜になり夕食の時間を迎えて、、、、大袈裟に言うと度肝を抜かれた。
河豚料理を主体とした数万円は必要な高級料亭が何軒もあり、割烹もたくさんある。さらには本格的なイタリアン、スペインバル、ワインバーもそれはそれは素敵な店がバリエーション多く存在する。さらに驚くのは月曜の18時なのに会社帰りのサラリーマンたちでどの店も既に大繁盛。
ゲストハウスの奥様たちと夕食を共にすることとなったが、「どこにしようかな?」と、、、、候補がいっぱいあって悩んでいる。
イタリアンレストランの個室を予約して向かったが18時で個室以外はほぼ満席!
宿の奥様とイングランド生活5年のお友達と宿泊客の首都圏の大学教授のイギリス人と4人で英語で夕食。何という国際色豊かな(笑)
2軒目の店として、ワインバーに向かったが満席、スペインバルも満席、、、、今夜は土曜の夜ではないのだが、、、、
ちょっと洒落たスナックに入ってカウンターに座っていたら先客の地元の電気工事業者の男性と意気投合し、我々にワインを奢ってくれた。
ワインを口にした瞬間、驚いてマスターに「このワインは???」「シャトーマルゴーです。」
リヒトには置けない、置いても注文が入るはずもない数万円のワイン!
こんなワインがスナックに置いてある。何なの?この街は?
食文化に関しては完全に都会のそれである。
人口3万人程度の小さな街だが、飲食に対する意識が素晴らしい!
これだけの店が共倒れもせずに成り立って、しかも平日から賑わっている。
筑後吉井の町にも同じような匂いを感じたが、本当に市民の食に対する向き合い方や意識が活発な街だった。
飲食は人類の文化の根源だからそれを大事にするか否かが文化レベルに大きく影響すると常々感じている。
また、夜の店だけではなく、夕食を共にさせて頂いたイングランド経験のある女性が臼杵のカフェで勤務していて、そのカフェでの働きがいについてあまりにもイキイキと語っていたので翌日訪ねてみた。
カフェに入った瞬間驚いた。こんな洒落たカフェは東京でも滅多に出くわすことはない。
60年前のドイツの焙煎機。しっかり整備されていてピカピカの状態。
つい最近導入したという車が購入できるほどの値段であろうエスプレッソマシン。
昼間にコーヒーと焼き菓子を売るだけでこれだけの投資をしても生業が立つのが臼杵の街!
食器に関しても200年前の江戸時代に途絶えた「臼杵焼き」を現代に復活させる活動を始め、国内外から若手の陶芸家を招いて、単なる復活ではなく現代風のアレンジを加えて世界を視野に入れているという。
地元には酒蔵が5軒あり、市では「乾杯条例」を制定して、「宴会などでは最初に地元のお酒で乾杯すべし」と。無論罰則規定などあるはずもないが、まずは地元の酒を知ってもらうという洒落た活動をしている。
こうした食と食器と酒を結び付け、循環させる流れを確立し、食文化交流の街としてユネスコに認定されているという。(日本では山形県鶴岡市に次いで2件のみ)
石垣が立派な臼杵城址の公園は街のシンボルとして素晴らしいが、その前にある観光プラザはまるで大型文化ホールのロビーやホワイエのようでグランドピアノが置かれて冬にはそこでクリスマスコンサートなどが開催されるという。(昨年はUsuki_Art_Houseのフランス人のご主人がピアノを弾き、先のカフェで勤務する女性がボーカルをしたという)
また、ゲストハウスではこのような催しを企画したらそれを市役所の方が聞きつけて「広報誌に載せましょうか?」「市のSNSにアップしましょうか?」と全力で後押ししてくれるという。
さらに、コロナの最中には市の提案で、飲食店にテイクアウトメニューを作らせて、その配送にタクシー会社をウーバーイーツのように利用して、その配送費は全て市が負担したと。
タクシー会社も潤い、飲食店も潤い、市民はメニュー代だけの支払いで食事が届くことでハッピーになったという斬新な助成策。
街並みの歴史は浅いのかもしれないが、銀行までこのような建物で、公共の土産物売り場もこんな姿。
人口減少問題が課題の過疎の街ではあるが、観光、町おこし、食文化、、、それらを通じてそこから脱却しようとする意気込みが本当によく伝わってきた臼杵の街。
恐るべし臼杵!!