ロシアのウクライナ侵攻

このホームページに政治的な内容はそぐわないことは重々承知していますが、人類の今後にとって看過している訳にはいかない重大事案が発生しているのでこれまでの自分の生涯と照らし合わせて書かずにいられないというのが正直なところです。

50年以上経ても変わらない国、変われない国、ロシア、、、

10年前に家族でチェコのプラハを訪れました。
プラハを選んだ理由は
1968年に民主化を目指したチェコスロバキアにソ連が軍事侵攻(所謂「プラハの春」)した際にプラハ中心のヴァーツラフ広場に侵入した戦車群の前で抗議の焼身自殺を遂げた二人の青年の追悼碑を訪れることでした。
この当時中学生だった自分がその後自衛隊に入るきっかけになった衝撃的な事件でした。

今はウクライナの人々の犠牲が少しでも小さく済むことと、ウクライナの国の将来に対して祈らざるを得ません。

ロシアと同様に共産党独裁の瓦解を防ぐために力による現状変更を模索しているアジアの某大国はこの事案の成り行きを固唾を呑んで見つめていると思います。力による現状変更をどのようにやればよいのかの教科書として。
3日前に一方的に独立を認めた国の安全保障のための軍事侵攻、、、こんな茶番なストーリーで侵攻が始まる。これは遠い国のことでは済まない問題です。

以下はチェコに住む、元チェコ陸軍兵士としてコソボ、イラク、アフガン等に派遣された友人のラインのメッセージです。

「親愛なる永田大佐! 私はあなたのメッセージに深く感動しています。 お言葉ありがとうございます。  
3年前の東京での夕食会で、1968年のチェコスロバキア侵攻がきっかけで自衛隊に入隊したという、あなたが私や他のメンバーたちに話したことを良く覚えています。 
私たちチェコ人はロシアが何をするかを何十年も前から知っていました。 私はチェコ国防省でその案件に取り組みました。 今回のような状況を恐れていました。 しかし、実際にそれが起こり、私は深く悲しみ、怒りを感じています。
しかし私達は勝ちます。  EUの私たち全員にとって、それは苦痛になるでしょうが、必ずやこのような横暴を打ち負かします。」

お知らせ

次の記事

新メニュー